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変革者

2009.04.21/Tue/02:04:37

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4月20日(月)

今日は花火業界の話をひとつ。

日本花火の歴史は非常に古く、
辿っていくと江戸時代までさかのぼっていきます。

その長い歴史の中でも
花火師の概念を根底からひっくり返した方が
今年の2月に89歳でお亡くなりになりました。

それが、故・村井 一(むらい はじめ)氏です。

誰やねん?!それ!という突っ込みが
聞こえてきそうですが、今回だけお付き合いください

その故・村井一氏を偲ぶ会が
本日東京の浜松で行われたので行ってきました。

浜松町の某ホテルに着くと
そこから3月に日本JC総会が開催された
有明が一望でき、吉田専務と行ったことが
なんだか懐かく思い出されました。
(ビックサイトでビ○〇〇〇ズ!もういいですか?専務?


CA390041_convert_20090421001807.jpg
さて、話を戻しまして、
故・村井一氏は、
昭和40年代に花火業界に変革をもたらした方でして、
それまでの花火職人というのは
『危険な原料を使って、いかにその原料を
自分の思い通りに扱い、良い花火を作るか』ということに命をかけておりました。

どれぐらい危険かというと、
床に少しの火薬(小さじ半分程度)が落ちていることに
気付かずにその火薬を足で踏むと
瞬時に摩擦で火が出るほどの
危険な火薬を使っておりました。

こんな危険な火薬を使っていたので、
当時は当然花火の事故が絶えず、
年間何十人もの花火職人が全国で亡くなっていました。

こんなことをしていたのでは日本の花火が
潰えてしまうということで、
法律(火薬類取締法)から変えてしまったのが、
村井氏です。

これまでの『危険な原料を使って、いかにその原料を
自分の思い通りに扱い、良い花火を作るか』という花火師の概念を、
『安全な原料を、いかに工夫して綺麗な花火を作るか』という考えに
全国の花火師の考えを変えた方なのです。

もちろん当時はこの考えに反発した花火師の方もいたようです。

危険な原料というのは
鋭敏ですぐ火がついていたので、
簡単に良い色の花火を作ることができていましたが、
安全な原料では、それまでの考えでいくと
良い色を出すどころか、火もつかないのです。

実際、私の祖父(故 市山与一)は思い通りの花火が作れないことに
かなり悩んでいたようです。

ですが、村井氏は諦めませんでした。
安全な原料でも、危険な原料と変わらない花火が
出来ることを自ら研究し、実証して
それを全国に広めていきました。

CA390043_convert_20090421001837.jpg


この方がいなかったら、今の日本の花火業界は
なかったことでしょう。

改めて、ありがとうございました、村井先生。

訳の分からない花火業界の話を最後まで
読んでくれた方も、ありがとうございました。

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