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償い

2009.12.23/Wed/10:19:28

「人は過ちを犯したとき、謝るだけではいけない。
謝るだけではなく、償うことが大事なのだ。
『償う』には、自らの素直な気持ちと
相手のことを思いやる気持ちが必要だ。
あなたが『償う』ことができたとき、初めてあなたは救われる」


昨夜1人で見ていたDVDに出ていた牧師役の台詞に
しばらく考えさせられた・・・。


僕も今まで数え切れないほどの過ちや失敗を犯してきた。
だが、今まで償ってきたのだろうか?

これからも数多くの過ちを繰り返しながら生きていくのだろう・・・。


これからも償っていけるのだろうか?



どのように償っていけば、僕は救われるのだろうか?

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この記事に対するコメント

「こんな自分が言うのもなんだけれども」が根っこにあるけれども、折角このブログを見たので、自分としての長ぁ~い一理を足跡として残させて頂きます。

どんな過ちなのかはわからないが(犯罪になるような過度の過ちや、心をえぐったような過ちは別だが)「誰かを救うこと」しかないんじゃないかと思う。償いというのは幾ら償えども償いきれるものではないんじゃないだろうか。

【自分が過ちと感じた場合】相手の方に対して(気持ちが乗っている、乗っていなければいけない)何かしらの言葉や行動を「お詫び」として表すことは大切なことだと思う。ただ、毎日会える人じゃない方や近すぎる大切な人には、気持ちはあっても行動に表すことが出来ないなんてこともあったりするのではないだろうか。それではいけないのだが、現実はそうだったりする場合もある。この場合の償いは「これだけ償えばいいだろう」と自分を納得させるしかないのだと思う。だが、そんな奴は「どうやれば償いきれるのだろう」という発想にはなる訳がない。つまり、償いきれることはないと思う。

【過ちと気付かない場合】知らない内に相手を傷つけているということだ。当然の如く、謝ることにさえ気付かないのだ。多々あるのだろうが、こっちの方がタチが悪い。だって、気持ちも無ければ行動をしようとも思えないのだから。

でも、これが生きていることだと自分は考えるし、そんな重いものを背負ってまで人は生きていかなければならない。そんな気持ちを抑えて生きていける方法=誰か(過ちの相手も含)を救うこと。それが人も自分の精神も救える方法かなって思うし、だから自分は生きることが出来ているんじゃないかなって感じる。だからこそ「真の優しさ」という意識を持って生きていくことしかないように自分は思うし、そうやって生きていこうと考えています。でもこういう事は、あんまり深く考えない方がいいよ。自分も「本厄を挟む3年間」はそうなったし、同年は1名を除く全員がそうだった。
(注)これは今の自分の頭が考えていることであって、未来の自分の頭がどう考えているのかは、今からの経験によるんだろうなぁ~。

追伸:自分への戒めや慰めとかではなく「償い」という記事に関して感じたことをそのまま言わせて貰ってるだけなので、誰も突っ込むことのないように(^_^;)
URL | マツザキヒロフミ #-
2009/12/23 17:13 * 編集 *
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